公開: 2021年4月30日
更新: 2021年5月18日
明治憲法では、天皇は日本の統治者であり、行政機関としての内閣と、軍事のための陸海両軍を統率する、統治者と定められていた。第2次世界大戦が終結した後、占領軍は「天皇の戦争責任をどのように問う」のかについて検討を重ねた。米国から見れば、日米の開戦を決断したのは、昭和天皇であったからだった。
ところが、明治憲法を詳しく調べると、天皇は内閣の進言を聴いて、開戦の決定を下すが、その進言の内容について修正を求めることはできない。つまり、決定の内容は、内閣の意志によって決まっているのである。つまり、第2次世界大戦に日本が参戦する決断を天皇が下したとは言えなかった。
また、ポツダム宣言の受諾に軍部が最後まで抵抗した理由に、「国体の護持」があり、日本国民が天皇を崇拝しており、天皇制を放棄させることに国民の同意を得ることは難しいと考えられた。そこで、占領軍司令部は、天皇の政治に対する関与を全く否定する内容を憲法に盛り込み、天皇制を存続させる道を選んだ。
それは、天皇を「国民を統合する象徴として」認めることであった。これは、占領軍が受け入れられる最大の譲歩であり、敗戦国となった日本政府の高官達も受け入れられるものであった。